きのう、銀座にある行きつけのおそば屋さんに行ってきました。
たまたま私以外のお客さんが途切れた時間帯があって、初めてマスターとふたりきりになったので色々話したんだけど、その会話がなかなかおもしろかったので書いてみようっと。
話の発端は「この場所(銀座)で商売するのは大変なんじゃない?」という私の質問から。
マスター(以後、マ)「たしかにそうなんですよ」
私「ですよねー」
マ「本当はもっと宣伝したり工夫した方がいいんだろうけど、どうもそういう気になれなくて。甘いのかもしれないけど、自分のやり方を変えてまで来てもらわなくてもいいっていうか」
私「客層が広がりすぎると、お店の雰囲気が変わっちゃいそうですしね」
あ、このおそば屋さんは、雑居ビルの3Fにあるかなりこぢんまりとしたお店です。
ビルの入り口が小さくて、しかも急な階段を昇らないといけないので、一見さんにはすごく入りづらいと思う。
店内は壁一面にお酒のビンが置いてあって食べ物のメニューは少なく、ぱっと見は単なる飲み屋さんのようなんだけど、実はマスターの手打ちのおそばがとてもおいしい。
マ「でも最近、自分が商売下手なせいで常連さんの負担が大きいなぁと思ってて心苦しいんだよね」
私「え?どういうこと?」
マ「この店は俺が好きで勝手にやってるだけなのに、お金を払ってもらうのが申し訳ないっていうか...」
私「え?え?なんとなく気持ちは分かるけど、お商売なんだからお金をもらうのは当然でしょう」
マ「俺の生活のために、常連さんが汗水たらして稼いだお金を出してくれてるのが、なんか、ねぇ」
私(客)からすれば、おいしいお酒と料理を出してもらって、土地柄を考えれば取り立てて高くない金額を払うのはごくごく妥当なことなんだけど、どうやらマスターはかなりモヤモヤしているみたい。
この後も延々と会話を続けたんだけど、マスターのモヤモヤはおそらくこういう考えが原因だと思う。
- そば打ちに関して、まだまだ試行錯誤の段階で、レベルが低いと感じている
- 特筆すべき良さが無い店に来てくれるのは、ひとえに常連さんの優しさである
- 肉体労働のように、額に汗することなくお金をもらうことに対して罪悪感がある
- お酒のように誰にでも原価が分かるものを出すときに、いくらかの上乗せをすることに抵抗がある
マスターにとってお店を切り盛りすること(仕事)は誰かに強制されたわけではなくて、彼にとっては生きることそのものなんだと言う。どうやら、「ただ好きなように生きてるだけなのに、しかもまだまだ技術が足りないのにお金をもらっている現状」に申し訳なさを感じてるみたい。
「マスターってば中2かよっ!」と思わず笑っちゃったけど、実は理解できる部分もあって、私もフリーランスになってからというもの「自分の値付け」にはかなりしんどい思いをしている。
最初に予算をハッキリ言ってくれるお客さんならいいけど、そうでない場合はちょっとした駆け引きを含めて見積りを提出しなきゃならない。原価がほとんどかからない仕事なので、見積り金額の多くは自分の技術力への対価となるわけだけど、これを算出するのはなかなか辛い。「これじゃもらいすぎかな」「自信過剰と思われないかしら」などあれこれ思い巡らせながら電卓を叩く。
自分の至らなさは自分が一番よく分かっているし、クライアントからしたら安ければ安い方が良いだろうし。
そんなわけで、気持ちの上で理解できるところはたくさんあるんだけど、それでもやっぱりマスターの考え方はちょっとズレていると思う。
私の仕事で言えば、見積りを依頼された時点で「条件さえ合えばこの人に仕事を発注したい」と思ってもらえているわけだから、「いやぁ、でも私実力不足なんですよね、えへへ」というエクスキューズは相手に対して失礼。
ちょっと無理をしてでも「安心してお任せください!でも作業に見合った正当な対価を請求します」と爽やかに言い放つのがプロなのではないかと。
マスターに置き換えれば、常連さんが通ってくれることに引け目を感じるのではなく、それを自信に変えて「ますます良い仕事をしよう!」と奮起するのが正しいあり方だと思うのですね。
あと、これはとっても信頼している経営者の方からいただいた言葉ですが、「お金を稼ぐことを"悪"と思うのは間違い」ですね。お金を稼がなければ、勉強する余裕がなくてなかなかステップアップできない。気軽に出かけて人と会って話をして、そこから色々なことに思いを巡らせるチャンスを得られない。自分の成長もままならないのに、困っている他人に手をさしのべるなんて、とんでもない。
大事なのは「稼いだ上でどう使うか」。一定以上の年齢になったらこれを考えなきゃいけないと思う。
...てなことをマスターに話して、マスターも「うん、確かにそうなんだけどねぇ」と渋々聞いてはいましたが(笑)。
心中どうなんでしょうね。
私もそうなんだけど、「働くこと」が「生きること」に直結しているのって、ものすごく幸せなことだと思う。
でもそれゆえに、お金をもらうことに対する正体不明の「申し訳なさ」も生まれちゃうんですよね。会社勤めなら、第三者が自分の値段を査定してくれるので、その点ではラクなんだけど。
とりあえず、いつもふてぶてしい(!)マスターが繊細な悩みを抱えていることにちょっとホッとしました。
見た目に似合わず繊細なマスターが黙々とそばを打つお店に行ってみたい人、連絡ください!