気づきの週末
なんか、先週末は「じぶん」についていろいろ考えさせられました。おもに、「自分の欠点」について。
※っつーことで、今日の日記はつまんないですよ〜、きっと
長いだけでね (^-^;)
自分で「ここはよくないよなァ」とつねづね思っている点はいくつかあるんだけど、その中に「ある人にとっては長所に見える」けど、「ある人にとってはどう見ても短所にしか思えない」みたいな項目が混じってるのね。
評価が二分するというのは、たぶん受け手がわの「キャパの広さ」によるところが大きいと思うんだけど(「短所」と受け取る人のキャパが小さい、という意味ではない。決して)、このテの性質は相当にやっかいで。
んで、さらに複雑なことには、じゃぁその性質をつらぬくことが自分にとって「ラク」かというと、決してそうではないんですよね。20数年生きてくる間に、「そうでもしなきゃやってられんよ」という諦めとともに身についただけのような気がするからさ。
自ら好んでそんな性質をふりかざしているワケじゃないのに、それを理由に好かれたり嫌われたり。
でもその性質は、今の「自分」を語るときに絶対ハズすわけにはいかないくらいのウェイトを占めているのは事実なんだよね。あぁ、難しい。
たとえば。
私は「裏表」というものがキライで、特に他人に対するネガティヴな感情はできるだけすぐ表にあらわすように(あえて)しているのです。そもそも、陰口にせよなんにせよ、誰かを「キライ」なんて表現するまでには相当のウラミツラミが積み重なっているわけで、そんな風にちまちました負の感情を自分の中にため込んで小山みたいにしてしまう前に、とっとと相手にぶつけてみよう、というわけ。
ハナから「あいつに嫌われよう、イヤなことしてやろう」なんて思っている人はまずいないと思うので、最初の「?」さえハッキリ口に出してたずねてみれば、意外とあっさり誤解が解けるんじゃないだろか。っていう思想。
#もちろん、たずねる時はケンカ腰ではありません
#ホントに単純な疑問とか問題提議としての呼びかけ
ただ、自分としては精一杯気を遣ったつもりでも、ときにこのやり方が相手を傷つけてしまう(つまり、ひたすら「攻撃された!」と受け取られてしまう)ことがあるんだよね。その人のことを好きだから、知りたいから思い切って投げかけた一球がまんまとデッドボールゥー!といった感じでしょうか。
これは、自分にとってもかなりイタイ。
しかも、さんざん球を投げ込んだ後に「あれ...もしかして今までのは全部デッドボール?」なんて気づいたりなんかすることがたまにあって、このパターンはもうサイアク。「ゴメンなさい」と心の中で謝りたおすしかない。
だから「使い分け」って必要なんだなぁ、きっと。
私の直球を喜んで受け止めてくれそうな人、そうじゃない人。
「表裏があるのは好きじゃない」ってのと「使い分けしなきゃ」って、すごく矛盾しているようだけど、これがオトナの分別だと思う。だって、「使い分け」の努力を怠ったせいで誰かを傷つけてしまうのはその人に対してあまりに申し訳ないし、自分にとっても不本意×100だもの。
てなことをつらつら考える、冬の休日でありました。
駄文しつれい。
(1999年12月11日 00:00) |トラックバック(0)
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