みなさま、ふくちゃんの件ではご心配おかけしました。
あの事故から丸1ヶ月と数日。もう大丈夫。元気になりました!
大事な大事な家族がいなくなってしまうだなんて、生前に想像しただけで号泣していたので実際に起こってしまったらどうなるか不安だったのですが、思っていたよりもずっと早く立ち直れました。
ふくちゃんと過ごしたのはたった1年半足らずだったから、長く一緒に暮らした子を失うより喪失感が小さいのかもしれないけど、まだ子供猫で可愛いさかりだったし事故死(=急死)ということもあってショックは相当大きかったです。
本当に辛かったのは最初の3、4日かな。その後は日々落ち着いてきて今にいたります。
人によって悲しみの対処方法は色々だと思います。
私の場合は、ここに書くことと、それを見た人から励まされたことでものすごく救われました。
ここに書くことで今の自分の気持ちや考えを整理できたし、それだけでも十分なのにさらに温かいコメントをいただけたことでどんなに励まされたか。一番辛かった数日間、コメント欄やいただいたメールを何度も何度も読み返しました。お一人ずつ返事を書く気力は無かったけど、本当にうれしかった。
あと、私は悲しみにどっぷり浸るのが嫌...というか恐ろしかったので、「どうしたら悲しくなくなるか」をひたすら考えました。
その答えのひとつが、まず「ふくちゃんへの愛情の深さ」と「悲しみの深さ」は別物だと言い聞かせること。
悲しみは自分自身の感情であって、泣く=愛情表現ではない。それよりも大事なのはこれからもこれまでと変わらずふくを愛していくことだ、と信じるようにしました。
あと、自分なりの死生観を考えることも、立ち直りの重要なきっかけになりました。
死んだらどうなるんだろう?
ふくちゃんは今どうしているんだろう?
自分が死んだら?
「生きる」ってなんだ?
これまで思ってもみなかったことですが、身近な死を体験したら色々なことが気になってきて、周りの人に話を聞いたり本も何冊か読みました。「ズバリ、これだ!」というものには出会えなかったけど、ちょっとずつヒントをもらって自分なりの死生観を組み立ててみたらかなり楽になりました。集中して考える時間を持てたことも(悲しさから目をそむけられるので)良かったかも。
そして、これまでバカ話ばかりしていた友達とそういう話ができたのが嬉しかった。私が問いかけたときにスッと自分なりの考えを返してくれる人が何人かいて、「すごーい」と思った。自分がボケボケしている間に深いことを考えている人っていっぱいいるんだなぁ、と。
今は、私もちょっとだけなら答えられるようになりましたよ。
とにかく、ここを読んでコメントくれた方、メールをくれた方、心の中で応援してくれた方に心から感謝します。
「暗いことばっかり書いて」と不愉快な気持ちになった人もいるかもしれないけど、ここは「私の場所」なので好きにさせてください。でも、これから先当分の間は暗い内容の日記を書くことは無いと思います(そうしたい)。
というわけで、先日購入した結城紬の反物写真を。証紙がまぶしい!!
でも、実物は写真の色と全然違うんだよー。むむむ。