20代前半までって、恋愛や人生やその他モロモロいろんなことを友達に相談したりされたりして盛り上がってた気がする。
「友達との会話」というレジャーの中に、「相談」ってジャンルが確立されてた。
だけど、ある時ふと「ん?どうやら私は本気で他人に答えを求めていないようだゾ」と気づいてしまった。
つまり「友達にアドバイスを求める前に、ホントはすでに結論が出てたじゃん!なのに何時間も私の話につきあわせて...これってかなり失礼なことじゃん」と。
それからは、自分から誰かに何かを相談することがほとんど無くなって今にいたります。
...あ、「仕事のやり方」みたいなことなら今も昔ももバリバリ相談しますよ。有能な人や人生の先輩の意見はとても参考になるから。
でも人間関係や生き方が絡むような複雑な相談は、するのもされるのもうまくいかないことが多い。そもそも、他人に関するすべての事情を第三者が把握してアドバイスするなんてのは不可能だもの。うん、「不可能」と言い切っちゃう。
私が相談を受ける場合、相談者との間にそれなりの付き合いがあれば、相手の行動・思考パターンはなんとなく想像できる。けど、私が知っているのはその人の「過去」であって、行動パターンも思考パターンも経験から割り出しているにすぎない。
人の考えは日々少しずつ変わっていく。昨日まで「白」に見えていたものが、今日見たらうすく色づいていた、なんてこともあるでしょう...てなことを考え始めたら、具体的な意見を口にするのがこわくなっちゃったのね。
ま、年とってくると悩みの内容がどんどん複雑になってきて、話の一部だけ聞いても対応しきれない、というのもあります。
生きるってことは、小さな選択の積み重ね、だと思っている。
目の前に広がるいくつかの道。どの道をいくのか、これはもう自分の責任において自分できめるしかない。他人がきめられるものではないし、仮に他人のアドバイスに従って、結果的に自分の望む方向へいけなかったときの恨みは大きい。だから他人に決めてもらわないほうがいい。
...えっと、つまりナニが言いたいのかというと、私に相談していただいても直截的なアドバイスはできませんよ、ということです(え?)。
でも、人の内面的な話を聞くのは好きです。グチも、聞くだけでいいならいくらでも聞きます。以上。