[henyohenyo]

コメントありがとうございます。ホントすみません。
とりあえず、1週間くらいはこんな感じで気持ちの変化をつづってみようと思います。
それまでにはちょっと元気になるといいな。

今日は雨でした。
これでようやく、道路に流れたふくちゃんの血が洗われる。

臆病な私は、事故現場を掃除することができませんでした。血を洗い流してしまうことが、ふくちゃんの生きた証をひとつ消すことになるような気がして。でもその一方で「見た人に万一心ないことを言われたら」と思うといてもたってもいられなかった。だから早く雨よ降れと念じ続けていたのです。

これでまたひとつ、区切りがついた気がする。

ほっとしたせいなのか、今日は身体がおかしいです。だるくてだるくて動けない。
震えるような号泣は今のところ一度も無し。でも、だらだらと勝手に流れ出すような涙は昨日より多いかな?

-----

今の自分の気持ちをできるだけ冷静に分析してみました。

もともと、まだ子供猫であるふくちゃんに対する依存の気持ちは無かった(ねこちゃんに対しては、ある)ので、いなくなったことで「どうしよう」といった混乱はありません。
もちろんそれだけではなく、周りにいて助けてくれるカズオさんやねこちゃんの存在に支えられているおかげなのですが。

また、不幸が重なった上の事故だと考えているので、見知らぬ誰かや自分を責める気持ちをほとんど持たずに済んでいます。まったく無いと言うとウソになりますが。

では今の私の悲嘆の原因は何なのかというと。
もう一度会いたい、抱きたい、と不可能なことばかりを考え、それが叶わないことを思って涙を流してます。
また、「あの事故の前まではあんなに幸せだったのに、なぜ今はこんな気持ちでいなくてはならないんだろう」といった、これまたどうしようもないことを悲しんでいます。

ここまで考えて、ひとつのことに気づきました。

いま私が涙を流している原因はすべて「自分基準」だと。
ふくちゃん自身を思って泣いているのではなく(もちろんそういう時もゼロではないのだけど)、かわいいふくちゃんに会いたいのに会えない自分、悲しみにくれている自分を嘆いているのだと。

このことに気づいたからといってすぐさま感情をコントロールできるかといえばそんなことは無いのですが、結構自分勝手な理由で泣いているんだな、やっぱり結局は自分自身の問題なんだな、と改めて気づいたわけです。

ふくちゃんは、生前と何も変わらず...いやむしろ生前よりしっかりと私の中に息づいている。
それなのに、自分で自分を悲しみの底に追い込むようなことは意味が無い。そんなこと誰も望んでない。

-----

ふくちゃんみたいにあっけらかんと逝ってしまった子は、またすぐに生まれ変わってくる気もするんですよね。神様から「もうちょっと落ち着いて修行してきなさい」って言われて。
もし生まれ変わってきてくれたら、見た目は違うかもしれないけどまた会えるかもしれないなぁ...とか思うと、ちょっとだけ楽しくなります。

りこ2010年2月26日 18:38コメント(1)|トラックバック(0)

コメント(1)

ぬーさんから教えてもらいました。

この前、ケータイにお電話した日が
ふくちゃんが事故にあった日だったのね。
メールの感じも変だったので心配してました。
こころ穏やかでなかったのに
いろいろ対応してくれて、ありがとう。

ふくちゃんが不慮の事故に遭って、
まだまだ悲しい日々は所々にあると思いますが
ふくちゃんの為にも早く元気になってください。

りこちゃんの悲しみは、計り知れないだろうと思います。
でも、こんなに思ってくれた家族がいて
ふくちゃんも嬉しいと思うよ。
ホントに。

りこちゃんと縁があって一緒に暮らしたのだから、
また何処かできっと再会できますよ。

トラックバック(0)

トラックバックURL: /mt/mt-tb.cgi/2117

Jump!