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「すべての物事には意味がある」のか?

これまで生きてきた中で、自分の周りで起こることにはかならず意味がある、と信じていました。
失恋も、素晴らしい人との出会いも、望むようにいかなかったこともすべて意味があって、自分に何かをもたらしてくれる「感謝すべききっかけ」だと思っていました。

だけど、昨日の夜に友達からもらった一通のメールを読んで以来、それは違うのかもなぁ、と。
すべての物事はただあるがまま淡々と起こっているだけで、そこに意義や価値を見いだしているのは各人の勝手な思いこみに過ぎないのかもしれないな、と。

こんなに悲しい出来事に意義なんてない。価値なんてない。
今はただひたすら、神も仏もあるもんか!という気分です。
時間が経って彼女が少し元気になったら、おいしいお菓子を持って会いに行こう。早くその日が来るといいな。

...なんてことを思いつつ、仕事で新宿へ。
その後、急きょ誘ったあべちゃんがつきあってくれて高島屋の「鼎泰豊」で食事してきました。おいしかった〜。こういうお店は、やっぱりせいろに入った蒸し物料理がいいね。「菜肉蒸餃」がツボでした。

りこ2007年11月 6日 12:24コメント(2)|トラックバック(0)

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コメント(2)

人間には運命と宿命があり、宿命は人生の岐路と言われるポイントであり、これは変える事はできないと思っています。
運命はそのポイントにどのように辿り着くかであると思っています。

運命は時の流れで、おっしゃる通り、あるがまま淡々と流れている(起こっている)のだと思います。
ですが、川には水源があり、絶やさないためには、その水源に水が常にわき起こらなければなりません。それが意義や価値(人生観)なのだと思います。それが澄んだ水だったり、泥酔だったり、灌水になるかもしれないし、洪水になるかもしれないし・・・。
それが水源を作る元だと思えば、決して無駄なことではないと思います。

人生観は、その人がたどる運命の源になり得る、ということでしょうか?


自分で書いた文章と矛盾しますが、「起こったこと」に対してただひとつの意義すら見いだせない人生はひどく寂しくつまらないものである、と思っているのも事実です。

ただ今回、意義を見いだす気力を奪うくらい悲痛な出来事がこの世には存在するんだなぁ、と生まれて初めて身にしみて感じました。
時が経てばそこから得るものが見えてくるのかもしれませんが、現時点で彼女にそれを求めるのはあまりにも酷で、今はただ少しでも安らかな気持ちになってくれることを祈るばかりです。

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